なんだっていい

難しいことはしない

お正月はありません

誰や書き溜めていく言うたのん。
でもなんか親指頼りなんとNo Wi-Fiなのが不便で、なんとなく。



2019年になりました。平成31年です。
昨年末、母方の祖父が亡くなりました。
なのでお正月はありません。

最後に会ったのは12/22の土曜日の夕方。
入院しているところに、お見舞いというほどではなく
ただ顔を見に行っただけで、話すこともない
(何を話していいか分からない)ので
病室でボーッとしてただけでした、わたし。
今になればもう少し声をかけりゃよかったのかとか、あるけど
そんなんいつもそうでしょうな、済んでから
後悔するもんや。と、どこか他人事気分で
「きょうは仕事やったんか?」「いや休み」「そうか」
…最後のやりとり、コレ、、、?
まじでこれ以上なにを話したか思い出せない。
でも、そのあと熱を計りよって
「キツい薬入れとるからな、若かったらアレやけど、
おじいちゃんももう89才やからなあ」
「うん」
っていうのはあった。
脇の体温計が鳴って「音鳴ったで」
「おおそうか」ていうのもあった。
結局37.1度やったんも覚えてる。

母と妹と一緒にいて、夕食時に食べきれなかった
りんごゼリーが病室の机に置かれてた。
母が「これ食べる?」とゼリーを見せて
「いや今いい、食欲あるときにする」「あぁそう」と言ってると、しばらくして父も来た。
母が「ほな迎えも来たし私らもそろそろ帰るな」と言うと
祖父は「ゼリー食べさせてくれ」と言って
母は「おじいちゃんボケとんのかさっきいらん言うたとこやのに」と言ってたけども
ゼリーは緑色やって、小学校の給食で出てきた
オレンジゼリーみたいな小さい容器やのに
半分も食べへんうちに「もういらん」言うてたけど

ただ寂しくて引き留めただけやろなあ。

祖母は数年前に倒れてから、
病院でチューブに繋がれて
そこから意識が戻ったことはない。
祖父は足繁く祖母のベッドを尋ねていた。
そうこうしているうちに自分にガタがきて
朝から晩まで病院のベッド、食べたくもない食事、
なにより、ひとりで過ごさなければならない。
娘やら孫やらが来て、特別話す訳でもなかったけど
それでも、そこにおるのとおらんのとでは大違いやったんやろうな。

病室で何を思ってたのか。
人生を振り返ったりしたのか、
それとも家に戻ることしか考えてなかったのか。

夏頃に入院して、その後退院し自宅に戻っていた祖父。
家で倒れて救急搬送されて再入院し、
数日後に私は顔を見に行った、
のが最後になってしまった。

12/26の朝、危篤の連絡が入ったときには、
東京行きの新幹線に乗っていた。
たまーーーーにある出張の、その、たまーーーーの日だった。
品川に着く頃には、集中治療室に入ったし心臓も動き出したと連絡がきていた。
少し安心してしまったんよなあ。
スタジオでリハーサルに立ち会い、
抜けて別作品の顔合わせへ移動する時に
携帯を見たら、亡くなったという連絡がきていた。
ぜんぶ午前中のこと。

キョロキョロしながら(東京の電車はいつでも難しい)
ひとりで泣いているわたしはかなりの不審者だったろう。

顔合わせが終わりすぐまたスタジオに戻り、
「いますぐ訳を話して帰るか否か」を自問自答しながら
「いま戻ってももうおじいちゃんは死んでもうとんねんや」
という結論を出し、
「ていうか遊んでた訳じゃないしな、孫が頑張って仕事しとるのも喜ぶやろ」
という言い訳を言い聞かせ、
結局、用が終わるまでそのまま新宿で過ごし
あらゆる誘惑を振り切り(久しぶりに来たし甘いもんでも食べて帰るか、
とか思ってたんや家出るときは)、
真っ直ぐ帰りました、デスクへ…家ではなく、会社へ…。
でも色々なことに耐えられず新幹線でビールを飲みました。
それでまた祖父をおもいだし、
ひとりで新幹線で酒を飲みながら泣く不審者となりました。

それで、梅田で喪服を買いました。
27歳、持ってなかった、喪服。大丸に滑り込みセーフ。
今の自分好み(なんかちょっと切り替えが可愛い)のちょっとお安いのと
オバサンでも着てそうなちょっとお高いもの、
悩んだけど後者にした。長く着られるようにね。
最低限の小物も選んで、四捨五入したら10万円の買い物をカードで一括。
「はぁ〜〜〜わしなんか大人やん〜〜〜」と大人感に浸りながらも
「ヤバい上司に20:00には戻る言うたのに今すでに20:00やんけ…」と素に戻り、早歩き。

デスクに帰ると上司はまだいたのでホッとしながら
話しながら仕事しながら整理しながら
「そんなことで年明けまで来ませんのでよろしく」
と押し付けながら(本当にスミマセン)、
結局さいごの一人になり、事務所の鍵を返し
ダッシュで駅に向かい、なんとか終電に滑り込んだ。

翌日の午後、親元に戻り、夜に祖父の家へ。
じつは、“死体”を見るのが初めてで怖いと思ってたのだけれど
和室で寝ているおじいちゃんに会ったら、
本当に綺麗で、今すぐ起きそうで、
「おじいちゃん家もどってこれて良かったなあ」と思って
でもお線香あげなあかんくて、なんでお線香なんかって、
それはおじいちゃんがもう仏さんやからで、
おじいちゃんやのにおじいちゃんじゃないというか、
なんかよく分からん感じで、とにかく、手を合わせながら
「来るん遅れてごめん」と思うしかなかった。

またその翌日、の昼頃に祖父の家に行き
昼過ぎには葬儀屋のオッサンが祖父を連れて行った。
おじいちゃんがおじいちゃんの家にいるのはもう今が最後、
と思うと、思うけど理解しきれない感じだった。
おじいちゃんが乗ってる霊柩車は、
おばあちゃんの入院してる病院にまわってくれてんて。
(まぁその入院してる他の人からしたら何か嫌ちゃう?とも思うなぁ。
縁起悪いやんけ、って、思われんかったんかな。
でもわたしは孫やから、 よかったなぁ と思ってる)
祖父の後に葬儀場へ入り、泣いたり着替えたり受け付けたりしてお通夜。
阿弥陀さんのところに往って生まれたから安心してええんやって、
よかったなぁおじいちゃん、仏さんになったんやなぁ。

それで、通夜振舞いの量がすごくてな。
ていうか激寒で親戚のご老人達もこちらの想定以上に来られなくて
ていうかイマドキ肉も魚も食べるねんな、
ていうか昆布もフグもあるけどええんか(ヨロコブやしフグは福やろ)、
ていうか、おじいちゃん死んでるけど、
ビールも、食べ物も、美味しいんや、、、
身内が亡くなっても、自分は美味しんや、、、。
泣いてた母親も美味しいと言いながら食べていた。
まぁおじいちゃんは「食べたらええ」と目を細めているでしょうが…たぶん。

翌日のお葬式も、泣いたり着替えたり受け付けたりしてたら始まって
泣いたり拝んだりしてるうちに終わって、
いよいよ本当におじいちゃん(の身体)とお別れで
過呼吸になるほど泣けて
これといったほっこりエピソードがある訳でもないけど
最近やと、おじいちゃん家で一緒に初めて缶ビール飲んだし
おじいちゃん家で一緒にご飯食べて、
あんまなんも食べれへんって聞いてたけど
おじいちゃん普通に食べてて(孫と一緒やったから、らしいけど)
カレイで味噌で焼いたみたいなん食べて
「この魚美味しいな」って笑いかけてきてくれて
「うん」って言うて
(まぁわたしはどの場面でも特に話してないねんけど、
ただ一緒におっただけや無意味なテレビ眺めながら)

もう会えないんや声聞けんねや、と思うと辛くて
辛かったけど、火葬場行って見送って帰ってきたら
ビールも、食べ物も、美味しんや、、、
あんだけ泣いても飲めるし食べるし、美味しんや、、、

ていうかイマドキ火葬場では待たへんねんな、
ていうか煙も出んねんな、
でもすごく寒いけどすごくいい天気で気持ちの良い空やったから、
きちんとお空に行けたやろな、まぁ煙でてへんけど。
ていうか、その後、骨上げに行ったけど、
イマドキお箸とお箸でせんねんな、ひとりひとりやるねんな。
スタッフが大きい骨をグシャグシャと潰すのは、まぁしゃあないんか。
しかしなにより事務的で、まぁそれはそのほうがええんやろか。
親戚のおじちゃんがスタッフに「田舎と様子がかなり違うけど今はこういうもんですか」と聞いたら
「アタシは若いので昔のことは分かりません」と言われたらしく
「そらすんません…」としか言えなかったそうな。せやな。

それで骨になった祖父とまた葬儀場に戻って、還骨勤行、初七日法要。
ていうかイマドキ初七日も同じ日にやってまうんやって
ていうか四十九日まで繰り上げることもあるらしい…
仏さんの都合じゃないんやなあイマドキな。

イマドキイマドキ言うけど、
まあ、
初めて喪服買ったくらいやねんけど。



きょうは本当の初七日で
また祖父の家に行ったけど
やっぱり会えないのは涙が出てくる。
仏さんになってるのは、
おらんくなったわけとちゃうのは、分かるけど。



それでさぁ、おじいちゃんよ、
最後に会ったときさあ(最後とは思ってなかったけど)、
「おじいちゃんももう89才やからなあ」って言うてなかったっけ。
普通にわたし聞き間違えただけかな…。
年内最後に会社に出たとき、上司に説明して
「おじいちゃん何歳やったん?」
「知らないんですけど、
数日前に会ったら89歳って言ってました…
ボケてなかったらそうなんだと思います。」
「そうかぁ〜」
って話をしてたんやけど、
通夜の受付に立ってるとき、人に渡す返礼品の中に
お礼状も入ってたから先に開いて見てみたら
「84年の生涯に…」みたいなことが書いてて
アレ?普通にわたし聞き間違えただけかな…ごめん。

数えで85年。
天皇陛下と同じ頃に生まれた(けどわざと届けを
ひとつきほど遅らされたという昔の人らしさ)おじいちゃん。
幼い頃は絵の書き方を教えてもらいました。
字も上手で絵も上手で釣りも上手で
いまよく考えると、丁寧な誠実なひとだったのだろうと思います。
ありがとうおじいちゃん。
おじいちゃんに笑ってもらえるように、
仕事とか色々ざっくり頑張るな。



ていうかめっちゃ長文打てるやん、スマホで…。